“辞める”だったか、”一ヶ月休む”だったかの宣言からの話の続き。
父がそう思うことを発言してくれたので、そうであれば、と、わたしの状況と思いを伝えた。
わたしは父にできるだけ働き続けて欲しいこと、と
今はひと月に半分くらいの出勤で、自分の最低限は確保できる、ということと。
おそらく、
母の、言葉が響いたのだと思う。
母と過ごして、その後には、一人で熱川で過ごす
その過ごし方、母には想像できる
ずっと寝転び、たまに温泉に入り、また寝転び。そんなのはいや~よ。
じゃあ
父の宣言は
だったら、働きたい。
母とわたしは
よっしゃっ
と、きっと同じ思いだった。
働きたい、ひと月に21日以上。
ほぼ、続けての宣言だった。
ほ~~!
そうきたか。
ひと月に21日以上勤務すると、条件が変わるのだ。
ぐんっ と稼ぎが増える。
あんまり、がつがつ働かなくても良いね
と聞くことと、
できることなら21日以上勤務したい
ということと
これまでも、この2パターン聞く事があって、
基本的には、伊豆熱川で過ごすための数日間以外は
ほぼ休むことなく働いている印象で、
そのタフさに脱帽。と常々思っていた。
沢山、働いて、たくさん世の中に貢献して、たくさん稼ぐ。
母は
良いね~~~
と。
わたしにも嬉しい発言だった。
そうしたら、
ゴールデンウィークは仕事もあまりないだろうし、熱川で過ごそう
と申請していた休暇も返上する勢いで
早速会社に報告。
行動の早いこと。
父自身の通院予定日の休日希望と
ちび妹の退院予定日を休みにするか、出勤するか
母に相談すると
その日はみんなで迎えに行こう、
ちび妹が、みんなに気にかけてもらっているとわかると喜ぶよ
と。
また、
帰り道は、車移動の方が安心。人数も多い方が安心、なのだ。
ということで、
父の通院予定の日、プラス、ちび妹の退院予定日。のみの休日。
わたしは、
犬の仕事の繁忙期、呼んでもらえるときには、それを優先で動いていて
父の体力を見ている中、その遺伝子をもらっているから大丈夫であろう
と気楽にかまえていた。
父ができるだけたくさん働きたい
と思うとは予想外だったので
ちょっと驚いたけれど
あり得る選択肢の中で、一番嬉しい宣言だ。
犬の仕事は、お客様優先で
それは不定期で
予定の数に組み込むことが難しいので、そのときどきで最善を思うことを選ぶ。
まあ、それは、わたしにとって、「いつも通り」
月に21日以上、となると、残りは10日足らず。
他でできることは
夜勤がある!
そうだ、夜勤もある仕事で助かるな
しんちゃんとどう過ごせるのが良いかな
と思ったときにも
ナイスアイディアっ!
と思った路線だった。
これはまた、大きく話の筋が逸れてしまうので、横においておこう。
わたしが 夜勤
と言うと、
「夜勤ならパパが」と
そう、まだ会社に電話する前にそんなやりとりもあった。
その夜勤の取り合いのやりとりでは
母は、父の夜勤を好ましく思わないは発言があったので父も納得してすぐに取り下げてくれた。
ということで、
父は今まで通り、精力的に働き、
わたしは日中家で母と過ごせる。
日中の仕事を早く終えた時、
いえ、早くなくても、少しずつカタチにしてゆこう
と思っている諸々を
逆に、行動しやすい。
そして、
今、夜勤でも貰えるであろう仕事は、
日勤か夜勤のどちらか一辺倒というわけではなく、
希望を伝えるのは、自由。
ありがたい。
ということで、
でか妹が、テレビ電話で
(両親をわたしだけで)独り占めだね
と言っていた 確かにその通り。
のんびりした気持ちで、明るい時間を母と過ごせている。
昨日のこと、書いたっけ?
昨日、5月7日は、わたしが寝ている間に、母の朝食は滞りなく済んでいて
食器も綺麗に片付いていて
掃除もしていたかな
ありがとう。
ふと気づくと、体操や顔の体操や活舌の練習や音程を取る確認や、色々トレーニングもしていて
脱帽。
そう、
2日間連続での外出の後、庭には出るけれど
外出をしていないので、
ちょいと提案してみた。
が、
ぅん~~~~~
タイミングではないらしい。
母、おしゃれする元気が足りない
父、そのままでいいよ
そんなわけにはいかないのだ。
庭に出る
という表現では伝わらないと思うのだけれど、
庭の出入りと、浴槽の出入りは ちょいとハードルがある。
庭に出ている、ということは
けっこう、元気な気持ちと身体があることなのだ。
そして、基本的に元来の母よりも食事を三度三度しっかり摂っているので
つい、何を、どれくらい食べた、とか記録に残したい気持ちがすっかり失せている。
嬉しいこと。
今日は5月8日。母の日。
わたしには「母の日」という存在を知った年から、それは「いつも通りの日」
母の日なんだって
母の意見は、いつも「母」をやっているのに、何故その日だけ特別なのか
と。そんな記憶。
では、いつも通りで良いのか
と、理解したわたしは、
その後に「父の日」がある、と知ったのだと思うけれど、その日も「いつも通りの一日」として過ごすことにしてきている。
父は、ちょこっとさみしそうだけれどね。
今日は、母から出かける提案があって
久し振りに母と出かけてきた。
ここ数か月の間、わたしが家にいる間に母がでかける際、わたしの犬の仕事にあわせるように
「ちょっと犬のさんぽに~」
なんて表現していた。
何度か、一緒にのんびりついてゆくのもありかな
なんて、密かに思ったりしたのだけれど、
一人で出かけるのも楽しかろう、とか
わたし自身が一人でパソコン作業する時間も有意義だ、とか
そう、さきのばしにしてきていた。
そう、
今朝、母が教えてくれたこと
昨日(5月7日)から、頭の中で行動の組み立てがつながらなくなっている
と。
一気に全部わからなくなればラクなのかな
と聞いたら、
ひとつずつ、わからないこと、できないこと、できなくなること、が自分でわかる方が良い。そうだ。
これって認知症の始まりなのかな
と。
確かに。そうなのかもしれない。
生命、生命力って、わからない。
ただ、ここに、どうわけだか与えられている
今、ここに在る、その生命(いのち)に感謝して
大事に過ごす
これ、まさに
大好きな言葉「ALOHA」の意味なのだけれど、
母が「テスト中」という
老衰
の時間は、
もしかしたら、
例えば、母の母、おばあちゃんと似たような時間の猶予が与えられているとすれば
あと14年くらい、あるのだ。
もっと長いかもしれないし、もっと短いかもしれないし
まあ、せっかくだから愉快に過ごそうではないか
そう、思うのです。
今日のお昼は、買い物から戻ってから、
気づけば、母の方が支度が早くて
買ってきた食材が、既に食卓に並んでいた。
そして、
デザートまでいただいて、
疲れたから
と昼寝を始めようと横になった直後に
元気いっぱいの父が帰宅し
父がつくったラーメンを
横取りしていた母。
日曜日は
競馬と大河ドラマで結構忙しい。
それに加えて、相撲が始まるので、忙しい日曜日。
母を独占できるね、とそんな感じのことを言っていたでか妹が、言っていたもう一つの事、
はるもママと一緒に写真撮って
ということで

質問を受けた、答えは「330」なのだけれど、
それはそれでおいておいて、それに付随するようなこと、伝えきれないな
と思って2回にわたって書いたけれど、
つい、つい、脱線が多くなってしまう。
330
単純計算だと33ヶ月。
超特急プランはその半分、という企みもあるのだけれど、
一歩ずつ。一日ずつ。
今度の一週間は盛りだくさん。楽しみがいっぱい。
はりきって参りましょう。
今日も一日Mahalo and Aloha!


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