ごめんね

母80

なんとなく

会話をする機会が増えて、

母が

「あのとき、反対してごめんね」

何のことかと思った。

大学受験で

せっかく合格したのに

反対してごめんね

と。

すっかり忘れていた。

明治学院大学

一応、受験校は、それなりに調べて選んで決めたつもりだったけれど

わたしの受験した学部? 学科? は、

当時の住まい、目黒から通いやすいところではない

と、おそらく、わたしは受験後に気づいた。

何を勉強したい

という強い思いがあるわけでもなく

それでも

大学に通わせてもらえる

受験させてもらえる

ということが

どれだけ恵まれていることか

わかっちゃいなかった。

いいのいいの

って、

わたしは言ったけれど

いいのいいの

レベルではなく

こちらがあやまって感謝をして

してもしきれない。

もう一つが

そう、もう一つ。最近になって

ごめんね

と母がいうこと。

わたしが宝塚、受験したい

といって

もし、万が一 受かった後の報告よりも先に

と恩師の1人に伝えていたそうな。

まあ、

結果、わたしは宝塚へ進むことはなく、

日大付属の高校に通ったのに

上の学校に進むこともなく

タカラヅカでなければ

歌ったり、踊ったり  ミュージカルの世界は

厳しそうだから

他では続けない

なんて思っていたクセに

高校卒業後、大学への進路がない

となったときに

いかにして

自由を得られるか

浪人してもう一度大学受験に挑戦したい

そんなことを、よくもまあOKしてくれたと思う。

本当に。

ありがとう。

お礼は

書き始めると

どれだけになるか未知数で

一つずつ、伝えてゆこうか。

ところで

母の近頃の様子を聞きつけた

スイスのでか妹は

基本、日本の夜の時間帯、

あちらの朝のひとときに

両親とスカイプしている日々の印象だったのに

ちょいと頻度があがり

パソコンを立ち上げていなくても応答しやすい

母の電話にラインでテレビ電話コールが

入ることも多くなっていた。

あっという間に

計画を立てて

日本へ飛んできた。

コロナがあって

しばらく振りの一時帰国。

わたしは、犬の仕事がたてこんで

逆に、妹が母と過ごしている と思うととても安心。

ゴールデンウィークは

両親、伊豆熱川へ

と予定していたのだけれど

東京で過ごして

そう、

おそらく今回も母が言い出したのだろう

熱川に行こう

と思う、思えるほどに

元気になった!

これからも

せっかくだから

楽しいこと、盛りだくさんでいこうね。

写真は、

そんな話の時か、母が作ってくれたモッツアレラチーズたっぷりのオムレツ。

ごちそうさま! 美味しゅうございました!

いつもありがとう

Mahalo and Aloha!

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