何ができるか、何をできていたか

発表会を観に行ってきた。ジャズダンスとクラシックバレエの発表会。発表会を観るのは大好き。もしかしたらプロフェッショナルの舞台を観るよりも心動かされることが多いくらい。

習い事、実はピアノといつからかクラシックバレエ、通ってた。全然好きじゃなかった。稽古場の奥沢までの車中でしっかり酔ってげんなりだし、身体はかたいし、得意でできることもやりたいこともないし、楽しい記憶はない。発表会も経験した。真っ赤な口紅もチュチュも舞台化粧を落とすコールドクリームのベタベタも心地良いものは何一つない。気づけば師匠はフラメンコからバレエと日本では草分けみたいなスゴい方だった。やる気さえあれば実になる時間を過ごせただろうに。もったいない。

ピアノのお稽古も練習は時計が止まったかのようにぐずぐずしか進んでくれないし、上達した手応えなく向かうレッスンはおっかないし。

習い事の始めは高校生くらいからがスタートだと認識していて、それ以前の記憶はうやむやになっている。

中学生になってからか「平凡」や「明星」が所謂アイドル雑誌だと理解して同級生はアイドルの出演するテレビの歌番組を見ているんだ、とわかって、日曜日のカルピス劇場意外のテレビを見たい、と親に伝えて必死に見てみた。そして、中森明菜を大好きな同級生が東京タワーの近くにオーディション行く、おぼろげな記憶。

アイドルになりたい、と親に伝えたのか、歌いたい、と伝えたのか。それなら、と母が連れて行ってくれたのは宝塚観劇。一幕のお芝居は、わたしには理解できずに「何故母はこんなところにわたしを連れてきたんだろう」と恨みっぽかったのに、休憩後二幕では一辺! きらきらの華やかな世界と笑顔とに夢中になった。そのとき多分中学二年。

その楽しくなる気分に、自分も誰かを楽しく幸せな気持ちにできる何者かになりたくなって、それが習い事スタート地点。

発表会を経験して、発表会に出演する人をサポートする側も経験して、プロフェッショナルとしても舞台の表も裏も経験して、発表会を観るのは、今も大好き。

先日、客席に座って観客側で、わたしは一所懸命夢中だった頃、何ができていたかな、と思った。できなかったことが多すぎて、周囲をみる余裕もなくて、何ができていただろう?

今、これからは何ができるだろう?

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